ナルシスのカノン 2
和男は蔓薔薇が大好きだった。それでベッドのある南側の窓辺に、蔓薔薇を這わせてある。蔓薔薇は一般的に初夏の頃に咲くだけだが、HT変種というのがあって、四季咲きする。和男はその変種を選んだのだ。季節が来れば花を咲かせ、そして散ってゆく。今、秋の花が咲いている。そんな薔薇のことを彼は日記に記している。
[ 私は蔓薔薇が大好きだ。今でも私の青春は、あのしなやかな私が歩んでいる青春は、たくさんの棘を身に纏っている蔓薔薇のように思えてならない。棘で武装した青春かも知れない。それらの棘は何故か私に付きまとって離れない。情熱を注ぎ込む時の棘々しい態度、感じる時の熱い胸の痛み、時には蔓薔薇を躰に直接這わしていた時もある。
暁の女神(エーオース)はイーリオンの唄では、薔薇の肢体をしていることになっている。それも大変私の気に入っていることの一つだ。夏休みや冬休みで家に籠もっている日は大抵、もう少し前に床に着いたとしても、明け方近くに眠り始める、(今は違うが)。
私の寝姿をいち早く暁の女神に見つけて貰おうと願い、ベッドの脇の窓辺に蔓薔薇を這わしておいた。永遠の情熱を持った女神に見つけて貰おうと願った。そして青春の棘を身に纏ったしなやかな触肢で、私に青春の息吹を注ぎ込んで欲しいと願った。その熱い情熱に融け入るようにして、夢深い微睡みに沈んでゆきたいと願った。]
しかしここ阿寒の家には園のイメージが無い。阿寒の街全体に園のイメージが無いという訳ではない。田畑や原生林も在るし、木々でいっぱいの山々が在る。唯、湖畔の和男の家には園の感じが無いのだ。その点、東京で借りているアパートがある練馬には、園の優雅さがある。南国のせいか、かなり大きめの葉を着けた広葉樹、或いは小さくても膨張色でできている草花が多数茂っている。
ここ阿寒の自然に培われた和男には、阿寒の景観にも若干生温かく躰を包み込まれる肌触りがあるし、無意識の裡に抱えている自然な情感が溢れ出る。しかしその感情にも増して、東京の郊外の景色はより熱く和男の胸を捉えたのだ。そしてそのより生温かで、彼にとって過剰なまでの自然の中で、和男の胸は病に罹ってしまったというところだ。
阿寒の家で唯一園の感性があるとすれば、和男の部屋の窓辺に這わせてある蔓薔薇だけだ。その点、練馬のアパートの周辺にはほぼ一年中花が咲いていて艶めかしい。和男も部屋に鉢植えのベゴニアを置いてある。今頃はもう咲いていてもいい時期だが、一ヶ月以上水をやっていないので、どうなっているか心配だ。
ここ、阿寒の家には鉢植えの植物も置いてない。近頃当たり前にある観葉植物も置いてない。植生的に殺風景な家だ。それは、父が植物を好まず、人物像ばかり彫る好みの邪魔になるとうるさく言うためだ。
そんな訳で、阿寒湖畔の和男のイメージは、冷たくどんよりと垂れ込めた大気、それでいてどことなく透明な大気、薄暗い透明感、灰色っぽい白さを感じさせる透明感になっていた。
そこには非生命的大気の様式が在る。何となく冷たい物質(マチエール)でできた世界、何かによって創られているような世界だ。温かな人間の熱を奪い、撥ねつけるような無情な表情だ。このような大気の下に芽生える田園の風景は気圧され気味だ。しかし樹木は原生的に森をなし、葉を茂らせ散らせ、草花も芽を出し花を咲かせ、生命観を僅かに伝えている、何となく重苦しい透明な大気の中で。
木々の梢の間を縫って見える重く透き通った昼間の明るさは、ここでなければ味わえない情緒を有している。広大な冷たい非有機的世界の繋がりを連想させる。そんな大気の中に、何故か存在している木々の薄気味悪い静寂を、時折破るフクロウの鋭い泣き声が、こんな世界に閉じ籠もっていることの想いを孤独に磔る。
湖は、人の波でごった返す夏とは異なり、秋ともなるとすっかりイメージを変える。遊覧船も出なくなる頃には神秘な気配さえ漂わせ始める。朝、湖面を掃くようにして対岸に吸い込まれて行く白い霧の切れ目に、山々の木々が姿を見せる。山々の懐に抱かれた湖水、そして原生林に覆われた小さな小さな部落、谷間という程ではないが、隔離されているという感覚を味合わせずにはいない。
そういう隔離されているという感慨を与えるのには別の要因もある。それはここいらの部落の立地条件が大きく影響している。そして交通網が。
国道240と241が重なり合う路に沿った細い道が、阿寒湖畔のコタンと和人街を徒歩で10分ぐらいの道のりで絡いでいる。その間には鬱蒼とした原生林がある。路は、国道以外にはその細い道1本しか無いと言っても過言ではない。そしてその路の中程の、トーテムポールのあるバスのターミナルで国道に連結している。
その二つの国道は幾つかの街に通じている。一つは、国道240を北上して釧北峠から北見相生を抜けて美幌へ通じ、更に北上して網走へ達する道、又同じ道を南下して釧路へ行くという、北海道のほぼ中央部を縦断するものだ。もう1本の241は、西南へ下って足寄を経由して帯広へ達する路線、そこまでバスで3時間かかる。同じ道を東へ向かうと、[ 阿寒横断道路 ] と呼ばれ、摩周湖、屈斜路湖を経由して弟子屈へ達している。基本的に道はこの2本しか無い。
そして、阿寒からそれらの道が達する町へはかなりの時間を要し、間にはほんの小さな村落しかないのだ。それで、他の町どうし隔絶されているという想いが否応なしにのし掛かってくる。
湖畔の住人がちょっとした買い物に行くのは、大きな都市釧路なのだが、そこまでバスで1時間以上かかる。ちょっとした買い物に行くのも大変な行程になるのだ。湖畔では、日常生活に必要な品はほとんど揃わない。
観光客がほとんど来なくなる11月になると、この街は本当に寒い静かな人里離れた部落になってしまう。しかし真冬になると湖は凍り、その銀盤の上でスノーモービルやアイススケートが楽しめ、客も現れ、街は若干賑やかさを取り戻す。ハネムーンで来る若いカップルが多い。
街は氷と雪の世界に変貌する。湖が人で賑わっていても、氷の世界に閉じ込められているという印象は拭い切れない。周りを氷で固められているという事実が、劇的に官能を孤独に支配してしまう。そのイメージが一年を通じて最も強固で、阿寒と言えば氷と孤独の世界だと言えるほどだ。冬の季節が一番官能を刺激するようだ。当地でのスポーツも真冬のアイススケートやスノーモービルに集中し、氷の世界の孤独を紛らわしている。
一方、この小さな部落には独特の良さもある。秋から春にかけて全く孤独になれるということが、芸術家を志す若者に幸いする趣があるのだ。若干非現実的にならざるを得ないが、純情念の探求に浸りつからせてくれるのだ。殊に、孤独な湖を想って誌を幾篇も創っている、E・A・ポーの詩などを読むと、尚一層深い孤独な気分が味わえる。和男は高校の頃からポーの詩が好きになり、以来いつも手元にポーの詩集を置くようにしていた。その他に好きな詩人はリルケとヴァレリーだった。
その他に数人の同性異性の友人がいれば、結構孤独に浸りつつも知的な刺激が得られ、芸術作品を独自なスタイルで産み出す手助けになってくれる。この街に籠もって創作するには、孤独は似合っているようだ。
そのような孤独さを求めて、創作活動をしようと、わざわざ東京から、秋から春に到るまでの間、家を借りて文学作品を書いたり、彫り物を創りに来る人も数人いる。その人達と知り合いになれば、都会の感覚に接せられるかも知れないが、和男はそういう人々と顔見知りではなかった。
その点、大都会での生活と較べると、芸術的刺激を感受するという面で、この地は大きなハンディーを背負っているので、できることなら多感な青春時代に大都会で修行すべきだと思われる。和男の父もそれを勧め、お陰で東京の美大にゆくことができたのだ。
そんなことを考えながら和男は、7週間、じっと寝ていた。段々、寝てばかりいるのが退屈で、耐え難くなってきた。
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