両性具有文学
・井野博美・

    宇宙の花粉  10


 次の朝十時前に、静之はいつも通りお店に出勤して、普段通りに父に「お早うございます」と、挨拶した。父も「お早う」と言い、何事もないかのごとくに仕事を始めた。今日は日曜日なので、お客さんは街の人や近隣の人が主で、音大の学生達はほとんど来ない。一週間で一番暇な日だ。しかし、この店で造っているアンプやスピーカーシステムが売れる日なので、収益率は高い日だ。
 父には、娘のナンシーと静之が旅行に一緒に行って、互いの愛を深めて帰って来たことは、容易に察しの付くことだった。二人は同い年だということもあるので、感じ方や考えることのレヴェルも似ているだろうから、意気投合し易いということも見抜いている。もう、止めることは出来ないだろうと、諦めている。いや、達観しているつもりだった。後は無事を祈るのみだと。
 静之はしかし、少し固くなっている様子だった。そりゃそうだろうと父は思った。ぎこちない素振りで、躰の動きもどことなく固かった。何か言わなければならない事がある筈だからだと、父には解っていた。それを切り出すべき時刻が来るのを、今か今かと待っている静之の逸る心中を思い、自分と妻の時のことを想い出していた。
 結局、店を閉める時刻になって静之は、今度の定休日である水曜日の二時頃、姉と一緒にお伺いしますので宜しくと、父に話した。父は、お待ちしていますと軽く受け流した。しかし、お母様はお元気ですかと、訊くのを忘れなかった。母は最近耳がほとんど聞こえないのでと、静之は本当のことを伝えた。それはお気の毒にと、父は応えた。
 さて、水曜日になった。静之と姉の波乃が二人揃ってやって来て、父に、ナンシーを静之の嫁に欲しいと申し入れてきた。父は、静之をナンシーの入り婿に欲しいと逆に提案した。
 「静之さんは、あたしのお嫁さんです。」
 と、ナンシーは宣言した。静之ははにかんで俯き、父と波乃が顔を見合わせた。話が思いもかけない方角に進んで行くと、父と波乃には思われた。無理はない。オトコとオンナが逆転した関係で結婚しようと言うのだから。
 「何ということになったものか。私が娘にナンシーという名前を付けたのは、男の子が欲しかったあまり、[男子] という字を思いつき、それを女の子なので、[ナンシー]と読むことにして届けたのだ、そのナンシーが本当に男子の心に染まってしまうとは思ってもいなかった。」
 「ナンシーさんは、[ 美男子 ]の[ みな子 ] さんですわ。」
 と波乃が言ったので、一同笑ってしまった。
 「それで、そういう関係で、どこに住むおつもりですか?」
 とナンシーの母が尋ねた。
 「お店の二階はいかがでしょう?」
 とナンシーが言った。
 「あそこは倉庫に使って来たので、大分汚れているし、傷んでいるから無理だぞ、ナンシー。」
 父が忠告した。
 「それにあそこの道は自動車もたくさん通るし、人も通るので、夜でも騒がしいわよ。」 と、母も歩調を合わせた。
 「それではいかがでしょう、私共の家の、以前父が使っていた書斎が空いておりますので、そこにナンシーさんがお入りになられては。」
 「いや、ご厚意は有り難いが、その部屋は波乃さんのお婿さんが入るべき部屋でしょう、取っておきなされ。」
 「そうよね、あたし達はじゃあ、マンションでも借りるわ、2LDKぐらいの。」
 ナンシーが提案した。
 「そうしましょう。」
 と、静之も同意した。
 「そうですか、そうと決まったら、次は婚約指輪ですけど、こないだナンシーさんの指のサイズ計らせて貰いましたので、こちらで用意させて戴きました。これです、ダイヤのです。」
 そう言うと、波乃は静之の手から箱を受け取り、中身を出した。それを静之が受け取り、ナンシーの指に嵌めた。ぴったり嵌まった。
 「まあ、こんなに立派な物を。随分高価だったでしょう。」
 母がびっくりする程、上質なものだった。
 「いえいえ、お給料の3ヶ月分ですわ。」
 静之が謙遜して言った。
 「いやいや、これはもっと値が張るでしょう、一カラットはある。すいませんな。実は吾々の方も、静之さんにはダイヤの指輪が似合うので、用意したんですよ、これですがね。」
 と父が言い、箱を開けて取り出し、静之の指に嵌めた。こちらもぴったりだった。
 「まあ、常識を度外視して、お婿さんにも花嫁指輪を。何てお礼を申し上げたらいいものやら、ご配慮痛み入ります。」
 波乃が深く頭を下げた。
 「次は結婚式までの日取りですが、ナンシーさんも妊娠していらっしゃいますし、形式張ったことは流行らないご時世ですので、地味婚ではいかがでしょうか。そうなれば、早いうちにパーティーの会場も見つけられますし、新婚旅行にお金をかけられますから、私共貧乏人としましては、何かと都合がいいのですが。」
 「そうねえ、あたしはその地味婚というのに賛成ですわ。身内だけ集まってやるというのに。」
 と、ナンシーの母が賛成した。というのも、自分達夫婦の娘が、実質的には女と結婚するということを、世間に知られたくないためだ。人目を憚る必要を感じているのだ。このようにも、半陰陽者の結婚式は、晴の舞台ではなく、日陰の裏方なのだ。
 結局、結納も行われず、式も行わず、婚姻届を出しただけで終わり、新宿の料亭の二階の一室を借りて、両家の家族だけが出席して、仲人を加えただけの宴席を催してお終いにするという、質素なものだった。しかし、アメリカでコンピューターの研究をしている兄が、作曲や動画をかなりハイレヴェルで可能にする装置や最新の音源モジュールや、3Dの最新のソフトや装置をプレゼントしてくれ、二人の結婚を祝福してくれたので、ナンシーも静之も喜んだ。
 食事が終わってから喫茶店に皆で入り談笑した。
 「ロンドンでは、シッキンガム宮殿とか、デートギャラリーなど、パリではロートルダム寺院とか、ステンドグラスで有名なサルトルの大聖堂とか、現代芸術のポンビキドー美術館など、スカンクフルートでは、ソーセージやウンチョスヴルストなど、堪能出来ますわよ。」
 と波乃が言ったので、皆大笑いしてしまった。
 「お姉さん、高校の時、世界地理は零点だったものね。」
 妹の静之がそうばらしたので、又みんな笑ってしまった。
 その夜、二人は成田からロンドン、パリ、フランクフルト二週間の旅に出て帰って来るという、慌ただしさだった。ゲートで身体検査されるかも知れないので、静之は男物のスーツを着て、頭には帽子を被り、靴も男物の黒い革靴を履き、男っぽく身なりを整えて、声も少しハスキーな低音を出すよう心がけて通った。元々声が低かったので助かった。
 他の国も見てきたかったが、通るゲートの数をなるべく減らすため、三カ国だけに限ったのだ。髪の毛もボブカットにして短くし、男物の帽子からはみ出ないようにするなどの苦労をした。しかし、ロンドンやパリでの衣類や化粧品の買い物は、女物ばかりだったのは言うまでもない。季節も真冬だったので、男物のコートを着れたのも、男に化けるには好都合だった。ゲートをうまく通り抜けられたので、初めての外国旅行は楽しいうちに終わった。
 静之が女役しか務まらないことと、ナンシーが父の稼業を継ぐということもあって、結局、二人の姓はナンシーの家の、松毬(まつかさ)を名乗ることになった。





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