両性具有文学
・井野博美・

    宇宙の花粉  4


 竹林の中の藁葺き屋根の家に店のチラシを入れてから三日後の開店直後、待望の彼女が、自転車でやって来て、「ナンシーさんいますか?」と、店のCD盤売場にいた父に声を掛けた。ナンシーはその時奥の相談室にいたので、父はその部屋に彼女を案内した。彼女は先日秋葉原で見かけた時と同じスタイルだった。この季節の彼女の外出着なのだろうとナンシーは思った。
 先日、チラシに、自分の名前を書いておいたっけと、ナンシーは想い出した。彼女は、部屋の中央に置いてある、試聴用の椅子に座り、その前にある四角いテーブルに黒い鞄を置き、中から、半導体アンプの回路図を出して、ナンシーに質問を始めた。
 「この回路でうまく動作するでしょうか?」
 「ああ、これ有名な金太郎さんの回路ね。ここにも置いてあるわよ、聞いてみる。」
 そういうと、ナンシーはその回路図のと同じ構成のアンプにプリアンプを接続し、4344に繋いだ。そして、ロックミュージックでデモってみた。そして、そのアンプの回路図と使われている部品のナンバーが書かれたものを見せた。若干、オリジナルの金太郎さんのアンプと部品が異なっているだけだ。
 それから同じソースで、ナンシーのオリジナルのアンプの音を聞かせた。明らかに違う点がある。それは音の感触が、ナンシーのアンプの方が肉声に近いということだ。その回路図も彼女に見せた。それから更に、この店オリジナルのスピーカーシステムである、2124と2404のトゥーウェイシステムに繋いで聞いて貰った。こっちはチャンネルディヴァイダーを使った二チャンネルアンプ方式で、パワーアンプはステレオが二台使われている。
 「このスピーカーボックスの木材は、北欧産の樺桜の合板で、スピーカーの箱にはとても向いているものよ。パパが作るんだけど。音の響き具合も最高よ。入力端子も低音用と高音用のが付いているわ。」
 トゥーウェイの二チャンネルアンプというのは、片方に二つずつ入っているスピーカーを一台のアンプで一つのスピーカーをドライヴする方式のもので、片方に二組のアンプが必要であり、その低音用と高音用のパワーアンプに周波数帯域を受け持たせるために、パワーアンプの前にディヴァイダーを置いて、周波数を分割すると同時に、スピーカーの能率をどちらかに合わせるという作用をさせる回路を置く方式の物のことを言う。
 低音の出方は4344に敵う術もないが、中高音域の自然さは、同等である。こっちのスピーカーボックスの方が小型で、日本の家屋向きであり、重さも女性でも何とか動かせるものでと、ナンシーは説明した。それから、金太郎式アンプと、ナンシーの造ったアンプを測定器に掛けて、自分のアンプの優秀さを印象付けた。その、ステレオのパワーアンプが二組入っているアンプを彼女に見せた。造りも見事であり、4枚の放熱器がケースの側板から外に出ていて、放熱効果も良い。
 彼女はそのナンシーのアンプに心が動いたようだった。それで、チャンネルディヴァイダーの回路も見せ、プリント基板に既に取り付けてあるのも見せた。随分軽くて小さな物になるのと、調整箇所が無いので、ケースの中に収めるのにも便利だということを、実物を見せて納得して貰った。
 この様式のアンプは、二種類あり、一つのケースに四組のアンプが組み込まれている、ちょっと大きめの物と、もっと小さなケースに二組入っている、普通のステレオアンプ形式のを二台使う方式のものを、左右のスピーカーボックスに分乗させるタイプのがあると、これも実物を見て貰った。二台に分けている方が軽くて小さいが、出力は大きい。そして、チャンネルディヴァイダーをパスすれば、普通のスピーカーシステムを一台でドライヴ可能だということも説明した。そのためのスイッチも着いている。
 初めて造るんだったら、二台に別れている方のが、内部の配置も配線の引き回しも単純で造り易いと説明した。それ用にケースを既に加工してあるものもあるので、便利だということも強調した。電源トランスは、最新式のR型コアのもので、電流を十分流せるので、余裕のある音になるということなども説明した。本来なら、これらは二チャンネルアンプ用のスピーカーシステムで聞くのがベストであると、今聞いて貰っているスピーカーボックスを指差して勧めた。
 「あのスピ−カーシステムは高いんでしょうね、JBLの高級ユニットを使っているし、木の箱もいい材質のようですから。音はとてもいいけれど。」
 「そうねえ、定価はオープン価格になっておりまして、お客さんによってかなり変わってきます。アンプも一緒の場合はかなり値引きいたします。ローンでのお支払いも可能です。例えば、今試聴用にしているものは、使いだして半年ですが、それで宜しければ、普通は二本で二十五万円ですが、十五万円で結構です。アンプはこれから貴女がお造りになるのですから、ケースや部品を二台分で十二万円でいかがでしょう。」
 「そうですか、秋葉原で買うより大分安いんですね、高級品にしては。」
 「ええ、これ以上安くすると全然儲けにならない線で申し上げているんです。」
 「実は、私の姉が時々このお店でCDを買うんですが、あそこのスピーカーとアンプの組み合わせは、とてもいい音を出すわよって言うんです。それで、あんた、あそこのアンプを造ってごらんよ、いくらだか知らないけど、あたしが資金を出すからと、こう言うもので、お伺いしたわけでして、帰って、姉にこの値段でいいかどうか訊いてみないと。ローンにすると、毎月おいくらですか?」
 「そうですねえ、最初の月は頭金ということで5万で、後は十一ヶ月払いで、一月二万でいかがでしょう? こうしますと丁度、一年間で二十七万円と、一度で買うのと同じ値段になりますから。でも、最後の月は、消費税を頂きますので、そのご用意を。」
 「そうですか、それで、支払方法はどうなっているんですか?」
 「それは銀行振込でも、ここにいらして現金払いでも、カードでのお支払いでも、お好きなのを選んで下さい。頭金を払って頂いた時点で、スピーカーシステムとアンプのパ−ツ一式をお宅までお届けします。アンプの製作に関しましては、いつでもお手伝いします、完成するまで。完成しましたら、諸特性を測定して、合格するまで調整いたします。」
 「凄くサーヴィスがいいんですね、びっくりしちゃう。」
 「ところで、工具はどのくらいお持ちですか?」
 「はあ、電動ドリルと刃のセット、ハンダゴテにピンセット、ラジオペンチ、テスターにヤスリのセットに、ドライヴァーセットなどですが。」
 「そうですか、必要な物は揃っているようですね。以前にお造りになられたことがおありですか?」
 「ええ、昔、トランジスター式のパワーアンプを一台。ところで、このお店の半導体回路は随分変わっていますね、見たこともない回路ですわ。それにゲインがあるのは初段だけですね。その初段がうんと変わっていて、わたしには理屈が解らないものですわ。」
 「ええ、終段が大電流用のMOSですから、相互コンダクタンスが恐ろしく高いので、ゲインは一段にした方が安定に動作するからです。発振すると壊れてしまうことが多い素子ですから、この、いわゆるUHC-MOSと呼ばれる終段用のパワーディヴァイスは。この初段はV−FETの差動のソースからPNPTRのエミッターに入れてカレントミラー合成してゲインを高く確保しているもので、後はエミッターフォローで終段を電流ドライヴする条件を整えているだけです。初段でゲインを高く得るというのは、音質上重要なことです。後は各段に最適の素子を選び抜くことよ。」
 「そうですか、それじゃあ、慎重に組まないといけませんね。」
 「製作上のノウハウは、プリントしたものを差し上げますから。それでもうまくいかなかったり、ご心配の箇所がありましたら、お手伝いします。いつでもご連絡下さい。この工房で造られても結構ですよ。」
 「まあ、何から何までご親切に。では早速家に戻って、姉に話してみます。」
 そう言って、彼女はお昼前に引き上げて行った。彼女の声は音質としては女性の滑らかに澄んだ透明度の高いアルトだが、低さは男性の域に入っているなとびっくりさせられる程の音程だった。そして、静之(しずの)という字から受ける感じは、(しずゆき)と読むべき男の名前の文字のような気がして、ちょっとおかしく思った。
   そして、2時半にナンシーが昼食から帰って来ると、すぐにさっきの彼女とそのお姉さんが揃って店を訪れ、アンプとスピーカーボックスを注文したいと姉が言って、頭金の五万円を現金で支払った。ナンシーは、ローン用の用紙を出して、相手の住所氏名電話番号を聞いて書き入れ、頭金のところに五万円と記入し、相手の印鑑が必要なところに押して貰い、店の印も押して、買い手に渡す領収証にも印を押して手渡した。
 「それでは今日、これからシステムを一式お運びしましょうか、それともこの工房で私と一緒に製作なさいますか、製作指南料は唯です。」
 「それは好都合だわ、静之(しずの)、ここで作り方を教えて貰いなさいよ、今日からでも。」
 と、姉の波乃(はの)が、妹に勧めた。ナンシーはそれではと、段ボールにパックしてあるパワーアンプを取り出し、ケースの外に部品を並べ、回路図や、カラー印刷の実寸大の実体配線図や、ノウハウを印刷したものを静之に渡し、まず、まだエッチングされていないプリント配線用のガラスエポキシに銅箔が貼られた基盤に、どうやって配線用の図柄を描くのかから手ほどきを始めた。
 マジックペンのようなもので、銅箔を溶かさない部分を塗り潰して行くのだが、その前に、実寸大の紙に鉛筆で練習して貰った。初めからこれがうまくいく人はいないからだ。一旦作ってしまうと、図柄を変えられないので、慎重にデザインしなければならない。間違いは許されないのだ。
 回路図と紙を睨み合わせながら、静之は何枚も失敗しながら、2時間かかって漸くうまく部品を差し込むことが出来、線が交錯しない、アースラインやプラスマイナスの電源ラインを太く出来るのを完成させたので、ナンシーは、店で造る同じアンプのエッチング済みの基盤を見せて、ほとんど同じだと言って褒め、エッチングする基盤に描くのに手を付けた。
 それが六枚出来上がると、間違いがないかどうか良く調べてから、エッチング溶液を入れる平べったい箱に液を注ぎ、それに基盤を浸けた。所用時間は約1時間だ。それを置く場所は決まっていて、換気扇の真下だ。かなり鼻につく匂いを出すので、換気扇で外に出してしまうようにしないと大変だ。
 液に基盤を入れる時や出来上がってから取り出す時には、特製の手袋をするのも当たり前だ。その上で、手に特製のピンセットを持って行うのだ。良く水洗いをして、溶液を完全に落とすことが肝心だ。銅を溶かした溶液は、下水に流してしまい、容器もきれいに水洗いする。
 それが出来上がるまで待っている間、静之は、ケースの底板の所定の場所に電源トランスや電解ケミコン、整流ダイオードなどを取り付けていた。それから、ケースの前面パネルに、電源スイッチや、チャンネルディヴァイダーのスイッチや、プラグで留める緑色に光る発光ダイオード=LEDを取り付けた。そして、背面パネルに、入出力端子や、電源コードを通す穴にゴム製のブスを嵌めた。そのすぐ脇にヒューズホルダーも取り付けた。 それでほぼ1時間を費やした。ナンシーは、次に基盤の取り出し方を教えた。容器にほんの1ミリ程度の高さにしか溶液は入れてないので、ガラスエポキシには溶液はかかっていない。それをピンセットで一枚ずつ摘み出し、シンクの中で水できれいに洗い流すのだ。そしたら乾いたタオルの上に乗せる。それを六枚やってから、容器を洗う。水が跳ねないように静かに水を出してするのだ。
 それが終わると、今日は終わりにし、珈琲を入れて飲み、一息入れた。静之は出来上がった基盤六枚と、基盤に乗せる部品などを家に持ち帰った。家でハンダ付けしてくるそうだ。明日は朝から来るので、大分作業ははかどるだろうとナンシーは期待した。この調子だと、数日で製作は完成かも知れない。
 初めて造る回路の場合は、部品配列や、位相補償を施す場所や、バイアス電流値や、その最適値を測定器や耳で確かめながら行うので、どうしても一週間以上かかるが、既にそういう一番面倒な作業は終わり、最適値に設定された定数で設計された回路を組むだけなので、製作後の調整は、出力点のゼロ点だけなため、早く終わる。本当は、それらの苦労を味合わないと、完成させたという深い喜びには達しない。
 初めて造るパワーアンプでは、完成までに終段のMOSは何組か壊してしまうのが普通だ。完成された回路に仕上げるのはかなり無駄な出費を必要とするのが通例なのだ。半導体というものははスカスカ壊れるものだ。それを安定に動作させる回路に仕上げるのは容易ではない。特に変わった回路の場合は。変わっていると言っても、I Cなどでは常套手段のように多用されているもので、奇をてらった回路ではない。極めて合理的と言える物である。
 次の日の十時半に、静之は、足首まであるジーパンを穿いて、プリント基板一枚だけ完成させて持って来て、これでいいかしらとナンシーに尋ねた。部品は丁寧に基盤上にディスプレイされていて、入力段のV−F E T は背中と正面で抱き合わされ、それをコパーテープで二回巻かれて、接着剤がその中に流し込まれ、がっちりと熱結合されている。半導体の足の極性も、間違いなく所定の穴に差し込まれ、その他のパーツも整然と並べられて、裏で銅箔にハンダ付けされている。かなり細かいところまで丁寧に仕上げられていた。
 良く出来ているので褒めてあげた。その一枚を参考にして、同じ基盤を後三枚、お昼までに完成させた。そして、ナンシーの食事時間になる一時半までに、チャンネルディヴァイダーを二枚完成させた。プリント配線のものは、基盤上への部品配置とハンダ付けはかなり短時間で済む。というのも、裏で既に昨日プリント配線がエッチングにより完了しているので、銅線で配線する必要がないからである。この技法の発達のお陰で、メーカーは、同じ規格のアンプを大量に、短時間で生産出来るようになったのである。
 お昼を二人は一緒に近くの喫茶店で、ホットサンドセットを注文して食べ、アメリカンを飲んで二時半まで休憩した。
 「アンプの製作って、意外と神経がくたびれるでしょう?」
 とナンシーは静之に話しかけた。
 「一番くたびれたのは昨日の、プリント配線用のデザインをすることでしたわ、回路と図柄の睨めっこと、部品の足の間隔の関係の計算で、頭がパニクッテしまいそうでした。誰かと一緒でなかったら、昨日はまるまる夜中それに時間を取られたことだろうと思うわ。貴女に大凡の基本を教えて貰えたので、何とか描けたのよ。」
 「そうね、回路設計が終わって、一番大変なのはプリント配線の図柄のデザインね。変更するには初めからやり直しだから、そうならないように、頭を絞る最大の山場っていうところね。でも貴女、初めてにしては最も合理的な図柄に仕上げたので、あたしびっくりしたわ、貴女、デザインの才能があるようね。」
 静之はそう言われるとはにかんでしまった。それを見てナンシーは、この娘はお嬢様育ちなんだなと感じた。ハンダ付け作業の時、ふとした弾みでハンダゴテから熱いハンダが零れて、足に垂れることがあり、素足だと大火傷を負うことがあるので、彼女は今日は長いジーンズを穿いて来たのだろう、少しは経験があるなと解った。もっとも、更にその上にエプロンを掛けて作業したが。
 午後は、ケースの中の作業をした。電源コードを背面の穴から差し込み、ヒューズホルダーに片方接続し、出力側を電源トランスの百ボルト巻き線に繋ぎ、更に電源スイッチに接続し、もう片方の電源コードは電源トランスのゼロボルト巻き線に繋いで、電源スイッチ関係の配線はお終い。二十二ボルト巻き線が二組出ているので、それをブリッジ整流器に配線して、プラスマイナス三十ボルトの電圧になった整流後の線をケミコンに繋いで、テスターで電圧を確かめた。
 電源スイッチのオン・オフを確認する発光ダイオードへの配線も済ませた。それを二台分完成させると、一息入れるために休憩した。お茶を飲んで、三十分程休んだ。それから、ケースの側板から外にはみ出るようになっている放熱器を取り付けた。両脇に付くように設計されている。側板はそのために一部長方形に既に穴が開けられている。その後の配線は明日することにして、今日は終わりにした。
 こういう具合に作業は順調に進み、次の日の午前中にほぼ工程が終了し、午後、調整して、パワー素子に配線するところまで漕ぎ着けた。
 今日のお昼も二人で一緒にカフェに入って、ナポリタンセットを注文した。
 「あたし、男みたいって言われてるんだ、ああいう仕事してるもんで。」
 「でも、羨ましいわ、ああいうお仕事が出来るなんて。あたしは、腐ったら鯛だって言われてるの。腐らなければ駄目なの、あたし。」
 「随分変わった台詞だね、それは。それに随分と難しい注文じゃないの。普通は、腐ったらお終いだよね。」
 「でも、本当にそうなのよ、あたしの場合は。辛いところだけど。意識的に腐るんじゃ駄目だし。とても難しく、自分でもどうすればいいのか解らないという、複雑な状態なのよ。自然に腐れば死ぬか精神病に罹るかだし、自意識が腐れば主体性の欠如という有様でしょ。でも、ある意識が腐ればあたしは生き生き出来そうだから、それはある程度当たっているのよ。」
 「何か謎めいた言説だね、それは。随分と変わっているね。」
 ナンシーは大きく伸びをして、欠伸をしてそう言った。
 「そうなのよ、変わり過ぎているのよ。」
 「かなりの美人だってことだけでも変わっているのに、その美人さんが腐ったらどうなるのかな。あまり聞いたことがないね。勿体なさ過ぎるんじゃない。分けて欲しいもんだよ、美人になれるもんなら、その悩みを。」
 静之は黙り込んでしまった。それを見て、ナンシーは、彼女には何か悩み事があるらしいわということは解った。
 「悩み深き青春か、文学的だね。」
 「人間性のどん底で喘いでいるって感じだわ。」
 「あたし、貴女のお友達になれそうだから、いつか話してね、その悩みを。いい方向に腐らせてあげられるかも知れないし。」
 「有り難う、嬉しいわ。そのうち話すわ。」
 二人は工房に戻り、まず片チャンネル電源をオンにし、終段のバイアス電圧を調整し、電源をオフにしてからパワー素子に配線し、続いて、ゼロ点の調整をした。出力端子のホット側とアース側の端子にテスターを当て、電源をオンにして、十分くらいである値に落ち着くので、ゆっくり時間をかけて行った。この時、デジタルテスターの表示がピクピク動く時は、アンプが発振しているということを示していることや、ゼロ点に近づくよう調整している時、ゼロ点付近で急に値が変わってしまうのも、アンプが不安定な動作をしていることを示しているのだということを説明した。
 幸い、そういうことも無く、夕方には全て完成した。急いで各種測定器に掛けて波型をチェックしたり、周波数特性も計ったが、この店用に作った見本と同じスペックをクリアーしたので、合格となり、相談室のそれ用のスピーカーに繋いで音を出してみた。なかなかいい音だったので、静之も満足した。
 それからパワー段のアイドリング電流の値を調整し、動作をA B級にセットした。放熱器が若干暖まる程度だ。温度補償もしてあるので、熱暴走も起こす心配は無い。
 それで、ワゴン車にスピーカーとアンプを乗せて、彼女の家まで運び、応接室にセットした。そこにあった、CDプレーヤーや、MD、チューナー、レコードプレーヤー、静之が造ったというプリアンプで、彼女が普段良く聞くというエンヤの歌とかショパンのピアノ曲を掛けてみた。この部屋は和室だが、障子紙や襖や畳の吸音効果がいいためか、妙な反響音も無く、十分いい音で鳴ってくれた。そこに、帰って来た姉の波乃も交えて、試聴会となった。
 波乃のバンドがバックで演奏しているという、イージーリスニングのCDも聞いてみたが、なかなかいい音質だったので、彼女も満足してくれた。その日の夕飯を一緒にしましょうということになり、お寿司を出前で取ってくれた。食べている間も聞いていた。  ナンシーが持参したジャズのCDも掛けてみた。チェロのブンブン弾ける音や、ピアノのタッチが心地よく飛び散り、気分爽快だった。パーカッションの過渡応答特性も抜群だった。位相補償も適量であることが解る音質だった。ロシア民謡のソプラノの艶やかな音色まで生っぽく聞くことが出来、姉妹も満足してくれた。
 「静之さん、アンプも造れるし、音楽一般に詳しいので、内のお店を手伝って頂きたい程ですわ。」
 「本当ですの、静之は今暇ですから、宜しかったら使ってやって下さい。今年の春に大学院の修士課程を卒業してから、何もしてない状態ですから。ピアノで職を探すの、今とても難しいんですの。この子、小さい時からハンダゴテ使って、何か、エレクトロニクスの方面のものを造るのが好きでした。」
 「そうですか、音楽家って、理数系に強い人多いって聞いてますから、静之さんもそうなんでしょう、きっと。
 父も誰か、店の手伝いをしてくれる人が欲しいなあと言ってましたから、今夜にでも父に話して、連絡しますわ。」
 「私、木曜日の午前中は駄目なんです、不眠症で、睡眠剤を貰いに病院に通っているものですから。」
 「はあ、お気になさらずに、音楽家というのは繊細な神経を養うことが必須の条件でしょうから、不眠症に罹るというのも職業病みたいなものでしょう。それに現代人は少なからぬ人々が神経を病んでいるのは衆知の事実ですから、それを引け目に感じることはありませんよ、現代人であるということの証みたいなものじゃないですか。」
 「そうおっしゃって戴けると、心が楽になりますわ。」
 そこでお開きになり、ナンシーは家に帰った。






N E X T
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