両性具有文学
・井野博美・

    宇宙の花粉  11


 それから町の外れにある、両家からほぼ等距離にある、マンションの三階の2LDKの部屋に引っ越し、二人の新婚生活が急遽スタートするという有様だった。仕事場が父の店なので、そのマンションの立地条件は良かった。それに、子供が生まれる前後、産院に入院するまで、実家の自分の部屋に住めるというのは、安心感もあった。静之もしょっちゅう来れるので、便利だった。
 静之は、ピアノを弾きたい時は実家に戻ることも出来るし、ナンシーもアンプを造りたい時も自分の元の部屋で出来るなど、利用出来る場所が処々方々にあるというのは、贅沢なくらいだった。家族もそれで、しょっちゅう子供達と会えるので、安心感があり、徐々に両家の家族の仲も打ち解けて行った。
 ナンシーは、新居のためにオーディオ装置を製作し、それをマンションに車で運び、静之と姉の波乃に三階の部屋に運び込んで貰った。妊婦なのだから、そうして貰って当然である。スピーカーシステムは、今までのとちょっと変えて、JBLの2130という三十センチのスピーカーをウーファーに用い、トゥイーターは前と同じ2404を使った物にした。これも音は抜群に良い物に仕上がった。これも父が造ったシステムだ。
 ナンシーの胎児は順調に成長していると、産婦人科の先生の見立てで、家族も一応安心していた。しかし、半陰陽の子供が生まれてくるのではないかという危惧の念は、皆抱いていた。
 ナンシーと静之の結婚から一ヶ月半後、年を越して一ヶ月経っていたが、静之の姉の波乃も、同じバンドの指揮者と結婚式に漕ぎ着けた。婿入り婚だった。しかし、そちらは芸能人らしく、夫婦別姓を名乗ることになり、家の門の表札も二つ付けられた。
 その姉夫婦に、静之とナンシーがコンピューターとCD−RWで作り上げたCDR O Mの、映像も出る音楽を見て貰ったら、その指揮者は気に入り、いろいろ知っているレコード会社に持ち込んでみてくれると約束してくれた。何か、二人の共同の力作が、いずれ花開く時が近づいているという予感を二人は楽しみにし、共同作品を作り続けることにした。ナンシーと静之の姿を映像として取り入れたものも多数造った。デジタルカメラと3Dの画像処理可能なパソコンソフトや、スキャナーが、大いに威力を発揮した。
 そして遂にナンシーが正常な女児を産院で無事出産し、それに合わせて、二人の共同開発の力作が、あるレコード会社から発売され、二人の喜びは倍加した。コンビの名称は、「アール ソニック」と銘々した。
 子供の名前は、予め考えていた通り、「流美」(ルミ)と名付けられた。男児だったら、同じ字で、(リュービン)と名付けるつもりだった。子供が生まれたのは、真夏の八月十七日の夜中だった。その日の夕刻まで、台風に見舞われ暴風雨だったが、夜になって風雨は収まっていた。台風一過で出産となり、ナンシーにとっては想い出が深くなったように感じられた。出産する時は肉体的な嵐のようなものだからでもあった。
 母子共々元気だったので、家族は安心した。赤ちゃんは新生児室に入っており、毎日定期的に、ナンシーがその部屋に出向いてお乳を与えていた。そして一週間で、母子共々退院した。早速松毬家で祝賀の宴を身内だけで開いた。みんなが赤ちゃんを抱いたので、赤ちゃんは泣き出してしまい、慌ててナンシーが抱き取って落ち着かせた。さすがママは違うと、皆口を揃えた。
 ナンシーは六ヶ月間、育児に専念し、マンションと実家で過ごした。静之も、毎日一度は赤ちゃんのオムツを取り替えてくれた。赤ちゃんは静之にも慣れ、静之が仕事から帰って来ると、喜びの表情で、笑みを浮かべるようになった。静之に抱かれると、笑うようにもなった。こうして、静之も、赤ちゃんのママが務まるようになった。
 そのことに静之は女としての幸せを感じることが出来、人間として成長したように思った。静之の成長とはそういう女としてのものだった。静之の心は前々から女だったが、子供を育てることによって、それが急速に発達しているように見えた。ナンシーも、それが静之にとっての幸せなのだろうと思えた。
 静之は料理も作れるので、しばしば朝御飯やお昼ご飯を作って貰った。裁縫も得意なので、赤ちゃんの服なども縫って貰えた。買い物なども頼むことが出来た。ナンシーの父も、子育ての間、静之を早めに仕事から解放してやることにしていた。その代わり、ナンシーが短い時間ではあったが、お客さんで混んでいる時に、赤ちゃんを背中に背負って店番をすることもあった。特に、父の昼休みや、父のお客さんが来た時などにそうした。
 ナンシーと静之の合作である、映像付きの音楽も、静之の作曲コーナーに、DVDとスピ−カーとブラウン管を置いて、デモっていた。若い音大生がそれを良く見聞しに訪れ、どうやって作るのか教えて貰っていた。映像を作る技術はナンシーが手ほどきをし、映像だけでも作ってみたいという客も、足しげく訪れるようになった。そういうことにも手を染めているので、店内は普通のレコード屋さんとは大分赴きを異にしていた。
 オーディオヴィジュアル(A V)時代の到来に備えて、その先駆的店という評判になり、お客さんも結構遠くから大勢訪れるようになった。それには父もびっくりしていた。ナンシーも静之も、そういう時代を先駆けているということに満足感を覚えていた。単なるお店の販売員でなく、芸術家であるという自覚と誇りを持っていた。
 ナンシーは、自分の作った映像をブラウン管で見るだけでなく、気に入った部分をカラー印刷出来るような装置も自分で作り、レーザープリンターで印刷して、店の壁に額縁に入れて飾っておいた。CG(コンピューター グラフィック) による作品と横に、立て札に書いてある。その機械類は、相談室に置いてある。ナンシーの赤ちゃんが、もう少し大きくなって、ナンシーの母に預けられるようになったら、売場の方にそれらの機械類を並べ、A Vコーナーを設け、ナンシーが受け持つつもりだ。
 そうすれば、オーディオ相談室は、アンプとスピーカーシステム専用になり、父の居住空間が広くなるし、専用にもなるので、仕事がし易くなる。今はいろいろ混ざっているので、混雑していて動きにくい。父も早くナンシーに本格的に仕事に復帰して欲しがっている。何と言っても、父の主力商品はそっちだからだ。CDの方はその点、店を支えている基本商品というところだ。そちらには、各ジャンルの音楽に詳しいナンシーと静之がいるので、安心して任せられる。
 と言っても、音大生が買いに来るのは、圧倒的にクラシックが多いので、クラシック関係はほぼ網羅している。静之は音大出だけあってさすがクラシックに強いので、心強い。曲名は勿論、それを演奏している楽団や、どの録音のものがいいかまで詳しく知っているので、買う方も安心して訊いてから注文出来る。
 しかし、どんどん新しい録音の物が発売されるので、勿論全部を在庫するわけには行かない。その中で、どれを仕入れるかによって、店の売り上げが大きく左右されるので、どれがいいかを知っている静之の選定によって、最近効率が良くなって来ている。現代の一般的音楽は、ヒット曲の時代的流れに大きく影響されるので、それらの中の名曲を仕入れておけば、大体捌けるので損はしない。
 そういう商業技術的な方面は、CDの新譜情報や、音楽芸術関係の書籍や雑誌を丹念に見ていれば自ずと身に付くもので、根気さえ良ければ失敗はしない。後、暇な時にテレビの音楽番組や、FM放送を良くチェックしておくことだと父は勧める。歳を取ると昔の懐メロばかし見聞きするようになるから、若いうちはそれなりの年齢層の音楽を良く聞いて、感性を時代から外れないように磨いておくようにと。
 そう言われなくても、若い二人は自然と現代音楽で音楽的感受性を育んで来たので、毎日音楽漬けである。店でもかけているし。そんなわけで、現代音楽には自ずと詳しいので、どれを仕入れたらいいのか判断を間違えることはほとんどない。そんなわけで、不景気な現代でも、損益を減らすことで何とか店を維持していられた。
 売れないものは仕入れないことが商売としては肝心なのである。しかし、芸術性の高い物は仕入れて、客に勧めることにしている。いかにも金儲けばかし考えて仕入れて、客に媚びを売る店は、芸術家にうんと嫌われるということは、芸術というものを少しでも研究したことのある人間なら、すぐに解ることである。芸術としての音楽を売るという心構えで、この店は営業している。それをそのまま言葉にして、客に強調することも、客から鼻つまみ者扱いされて嫌われるということも心得ていた。
 芸術作品を創り出すのも難しいことだが、それを売るのも難しいのである。それは、その両方に手を染めている、ナンシーにも静之にも良く解っていた。売るには客の心を掴むことが必要だが、創るには自分の芸術性に一切の妥協を許さず、前面に押し出すことが肝心なのだ。
 これは、社会との妥協ということとはいささか趣を異にすることである。本来、芸術というものが人間が生み出す物である以上、社会と絶縁した次元で出来上がる物ではないが、社会が望む物に歩調を合わせればいいということでもないのである。そういう物は一時流行るかも知れないが、じきに消え去る泡沫である。そういう物が売れるのは事実だが、一時的なものであり、長続きはしない。そういうのは芸術とは呼べない。
 本物の芸術というのは、社会の根底を見据えた、又、それから人間が受ける本質的感覚及び官能を、いかに昇華し得ている物であるかということにかかっているのである。表面に惑わされてはいい作品は出来上がらない。
 それは、客の表面的欲求によって売る物を決めてはいけないということでもある。その人物の本質的欲望が何に向いているかを見抜く洞察力が必要なのである。それは、精神科医の診断と合い通じる物がある。処方箋として、商品を提供するのである。セラピストが流行る理由もこの辺にあるのだろうと、ナンシーは想像した。今度、静之が神経科を受診している医師に会って、静之の心について聞いてみたいと思った。
 旦那ということになっている実際には妻である彼女が、いったいどんなカルテを書かれているのか、実に興味深いことではないかと、ナンシーは最近思うようになっていた。今までは、目の前にいる彼女を愛することだけに夢中になっていたが、彼女の深層心理がどんな風に出来ているのか知っておくのも、自分にとって必要なことではないかと思われてきたのである。
 それは勿論、彼女をより深く愛するために、彼女の心を奥底まで知っておきたいという、新たなる欲望のせいなのである。今までは、自分一人の判断で彼女はこういう人間なんだと捉えてきたが、心理分析の専門家がどう見ているのか知れば、自分が彼女により良く接することが出来るだろうと思えて来たからである。
 それに、静之がナンシーのことを医師に何と言っているのか、実に興味深い疑惑めいた疑問を覚えたためでもある。彼女が何を満足に思い、何を不満に感じているかということだけでも知れれば、生活する上で、二人の関係をより良い方向に導くことが可能だと思えるためでもある。別に今の生活が不満というわけではないのだが、静之がどことなく沈み込んでいるように見える時が最近あるためだ。その理由を知りたいのだ。ナンシーにとってはそれは不安の範疇だから。
 静之は、ナンシーには不眠症と称しているが、不眠症というのは、そんなに長く続くものなのか、どうしたら治せるのか聞いておくだけでも役に立つだろうし、もし、もっと重傷の病だとしたら、彼女は夫としてそれを知っておく必要があると思える。二人の普通でない夫婦関係も医師には伝えておくべきだと思えるし。それでまず、二人で一緒に彼女の受診日に行ってみようと思い立った。
 又、彼女が医師に話していない彼女の本質的欲求とか不安というものがあって、それが原因でなかなか治らないのかも知れないと、ナンシーはいろいろと気を回す。結婚したのだから、ある意味では一心同体の部分があってもいい筈だと思ったのも、ナンシーにそう決心させた動因である。  医師に会う前に、もしかして彼女が日記でも付けていたら、それを読めば、彼女の本心を深いところで知ることが出来るに違いない、明日にでも探してみよう、彼女がお店に出かけたら。






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