両性具有文学
・井野博美・

    宇宙の花粉  5


 次の日の朝の十時に、静之は店にやって来て、相談室で、父とアルバイトの手続きをしていた。店の定休日が水曜日なので、静之は木曜日の午前中は病院で、午後は秋葉原に回って、色々と新しい部品や機器を物色してくるという条件で、折り合いがつき、その日から務めることになった。まずはCDを中心とする売場フロア係りになった。ここでひとまず、世界や日本の音楽ジャンルに慣れて貰おうという配慮からである。
 午前中はナンシーも彼女と一緒に、そのフロアにいた。彼女をサポートするためもあるが、今までも自分の昼食時間までは、そこにいたので、その続きに過ぎない。三人になったので、常時店に二人はいて、一人はフロア、一人は相談室にいるように決まり、昼食時間は一人一時間ずつということになり、父が十二時から、静之が1時から、ナンシーが2時からとなった。午後は七時までである。
 各自、一週間に一度は秋葉原に半日出向いて、物色して来ることになっている。静之は昼食から帰ってきてから二時間程、相談室で、オーディオ関係の雑誌を読んだり、お客さんの要望で、音楽を聞かせたりしていた。ミュージックソースを提供している各社の製品が載っている本の使い方なども、慣れて貰った。
 美女が二人務めているということは、たちまち音大の生徒や近隣の音楽マニアの人々の感心を引き、お客さんも増えた。静之は時々、お務めはモデラートに、お客様にはアレグロでシャープ記号でと、自分に言い聞かせるように言う。そして、相談室にいる時や昼食時間帯に、自分で曲を作曲して、楽譜に書き込んでいる。それを知った父は、作曲の出来る機器も店の商品にしたいと考え、導入する作業を静之に任せた。音大の学生もそう言う機器についてしばしば訊きに来るからである。
 音源モジュールや音程やリズムを作る機器、それらをパソコンで編集合成して録音アンプに繋いで実際の曲にするというのは、今ではかなり多くの若者が手掛けていることで、ここなら売れるという見込みを、父は持っていたからである。それらの機器を導入し、静之に実演して貰おうという発案なのである。静之は学生時代からそれらの機器の扱い方を知っていたので、すぐに必要な機材をリストアップした。
 そして秋葉原に、ナンシーと一緒にワゴンに乗って、それらを買い出しに行った。今ではパソコンもかなり安くなっており、それに連れ、関連機器も値下がりしている。作曲に強いというパソコンは未だにマックが一番だが、その他の機材はいろいろな会社が乗り出してきている。シンセサイザーミュージックというものだが、今では作曲や録音の現場では不可欠の物となっている。これを扱えないでは、いい音楽は出来上がらないという時代なのだ。
 かなりの高級品を集めても、五十万円としないので、スタジオ関係者の必携品となっている。それで、作曲家を志望する若者も、アルバイトしてそれらを手に入れ、練習しているというのが現状だ。その時代の流れから落っこちないようにと、父はいい判断を下した。それもナンシーが紹介した静之という人材のお陰なのだ。店に早速、作曲コーナーを設け、機材を並べ、静之に実演して貰った。静之はまずクラシック音楽の一節を、購入した機材を使って編集し、シンセサイザーミュージックにして演奏してみせた。
 なかなかいい音が出るので、これはいいと、後の二人も安心した。それを導入したら、かなりの若者が、どうやって操作するのか静之に手ほどきを受け、買いたいと申し込んで来るので、メーカーから卸しを経て、店に定期的に数台運んでくれるよう、交渉し、この分野もかなりの収益を上げることになった。まだ三十代と思しき人物が、子供の音楽教育のためにと言って、一式注文することも珍しくない。勿論、その人達がある程度の知識を持っているようだったが。
 静之は、作曲に熱を入れ、それをシンセサイザー音楽として完成させて録音し、店に来る客に、こういう具合に音楽が出来上がりますと、聞かせて納得させることが出来た。音楽の知識を持っているからこそ出来ることで、即戦力になったのには、父もびっくりした。静之は自分の曲を創れるので楽しく仕事が出来るようだった。作曲家になろうかしらと密かに思ったりした。
 それで、ちょっと完成度の高いものが出来上がると、姉の波乃に聞かせて、感想を聞いたりするようになった。バックミュージックも歌も入れられるので、作詞作曲も出来るわけで、彼女は作詞の練習もするようになった。歌手のいない歌曲が出来上がることになるので、これからは、今までとは大分違うスタイルの、売り込み方が求められることになるだろう。
 そういう歌謡曲が出現する時代かと、ナンシーもびっくりした。ステージなど必要無いのだ。スターも要らないわけだ。音楽を聞く装置を持っていれば、誰でも聞ける。有線放送などで流せば、かなりの人に聞いて貰える。静之は音大で、作曲の勉強もしていたので、するするとメロディーを生み出すことが可能で、このコーナーを設けたことは大成功だった。この店にはDVDもCDR−Wも置いてあるので、自分が作曲した曲を何枚でもCD盤に録音出来る。そういうテクニックも彼女は客に伝授していた。
 こうして出来上がる、人間の歌声の入った曲は、本当は歌とは言えないのだと、ナンシーは思った。機械が声を出して唸っているのだから、唸りとでも称すべき音楽なのだと、ナンシーは結論した。だから何も、人間の歌声の真似をする必要もないのだ。人間の声音は、音源の一つに成り下がったのだ。音を発するのは何でも良いのだ、音楽になりさえすれば。それも人間が、丹精込めて作れば、芸術作品と呼べるだろう。
 そういう静之の作曲の才能に刺激されて、ナンシーは、自分もパソコンを駆使して絵を描く才能を発揮したいと欲した。それで、仕事が終わった後、自宅に静之を案内し、自分の部屋に通した。二階の二部屋を使っていることを、静之は羨ましがった。書斎兼寝室の方の壁には、ナンシーが描いた原画や、パソコンで少し画像処理したものを、レーザープリンターで印刷したものなど、たくさんの絵が飾られている。
 椅子に座って、それらの絵を見た静之は、それらの絵に共通しているトーンを話した。 「抽象化された具体的想念の意匠っていうのかしら、アートのプロセスの本流を行くものだという気がするわ。」
 「アートのプロセスか、いい表現ね。まだ完成されていないという意味合いもあるけど。」 「ううん、そういう意味じゃないのよ、これらはこれらで完成されているわ、貴女のイメージが。抽象化されるまでに練られていて、見ていて自然な感じに溶け込めるから、いい線行ってるわよ。」
 「そうか、貴女には私の内的モチーフが解るんだ、きっと。絵画芸術って、単に描かれたものの表現力がいいか悪いかを見せるものじゃないもの。心の裡を表現するのがアートの本随だって思うのよ。それは音楽にも当て嵌まることでしょう。」
 「あたしもそう思うわ、意見が合って嬉しいわ。」
 静之は頷いた。そしてナンシーの絵を見て思った。こういう抽象画が完成されるまでのプロセスを動画で画面に映し出せたら、自分が作曲する音楽とセットにして、映像も見ながら音楽を聞けて、楽しい思いを見聞きする人は得られるだろうと。いわゆる、オーディオ・ヴィジュアル(A V)の世界だ。
 「ナンシーは、絵を描けるパソコン持ってるんだ?」
 「うん、持ってるわよ、マックとウィンドーズの両方をね。スリーDのソフトも数枚あるわ。アートパッドに電子ペンもよ。スキャナもB4、プリンターもB4の大きさまで使えるわ。プリンターはレ−ザー方式のをね。それらを駆使すれば、いろいろと原画を動かせるし、気に入った作品は何枚でも印刷出来るから、版画みたいでとても便利よ、一枚原画を仕上げると。
 あたし、最近漸く、画像処理の技術にも慣れてきたところなの。それで作品たくさんあるから見てくれない。動画も作ったのあるから。」
 静之は一通り見て、随分たくさんあることにまずびっくりした。ナンシーは隣の部屋に彼女を案内し、パソコンやその付属品を見せた。
 「貴女の動画を、あたしの作曲する音楽と組み合わせてみたいわ。どうかしら? こういう発想。これからはA Vが普及する時代だし。いいコンビになるんじゃないかって気がするんだけど。」
 「そうねえ、あたしも乗り気よ、その方向。音楽と歌が、映像と一緒に見聞き出来るのも楽しいものだしね、映画的要素もあるし。試しに一作創ってみようか。」
 「貴女が抽象画を仕上げるプロセスに、あたしの音楽を合わせたり、或いはあたしが作曲する音像のプロセスに貴女の影像を添わせたりするのよ。音像と影像が合致すれば、宇宙的感覚に浸れるかも知れないし。これからは、宇宙的規模の感性が磨かれる時代だと思うのよ。貴女の絵、宇宙的感覚に満ちているから。音と映像が密着した新しい分野の芸術を二人で開花させようよ。」
 静之は、ナンシーが創った動画をパソコンの画面で幾つか見て、乗り気になったようだった。
 夕御飯に二人だけで、街の中程にある豚カツ屋から、ロースの上の定食を取り寄せ、ビールで乾杯した。静之は、ナンシーの家のワゴン車が、背が低くて流線型でとても格好がいいと褒めた。ナンシーも、あの車は燃費も良く、走りも軽快だし、小回りも利くのでとても便利よと、自賛した。
 ナンシーのその部屋には、パソコンを並べた側の反対側の壁にアンプの製作台があり、その上に、いろいろな回路を試すための基盤が幾つか並んでいる。  「お店の工房では、ごく完成されたアンプしか置いてないけど、家には、いろいろな回路構成のアンプの音を試せるように、用意して比較試聴を繰り返しているのよ。特性は抜群でも音は失格というのも結構あるものよ。特性が駄目なのは大体音も駄目ね。それで、まず音を出してみて、いいものだけ特性を計ることにしているの。半導体の進歩は日進月歩だから、次から次に試さないと駄目なの。というのも、ちょっと古くなった型番のディヴァイスは製造中止になってしまい、音は良くても入手不可能になってしまうもので。
 そんなわけで、実験漬けの日々よ。そういうことをしてくれるお婿さんを募集しているの、あたし。そしてその男がこれはいいと言ったアンプに思い切りケチ付けてやるのよ、楽しいわ、想像するだけで。胸が一杯になっちゃいそう、相手の可哀想な惨めな顔付きが、それが楽しみだなんて思うと。」
 それを聞いた静之はあっはっははと笑い転げてしまった。
 「何ておかしな精神の持ち主かしら、ナンシーは、複雑な楽しみね。相手の惨めな顔が、悲劇的に歪むのが可哀想だけど楽しいなんて、その人の顔が思い浮かぶようだわ。現代の女は精神的にも強いということの見本みたいね。」
 「どうかなあ、あたし、そんなに強くないんだ、本当は。願望を述べただけよ。」
 「あたし、そろそろ失礼して、帰りますわ、大分長居しちゃったみたい。」
 と、急に静之はそわそわして言うと、立ち上がった。
 「そうお、じゃあ、ちょっと待ってて、あたしトイレ行ってくるから。」
 とナンシーが廊下の突き当たりにあるトイレに入った途端、静之は一人で小走りに階段を降りて、玄関を開けて出て行ってしまった。ナンシーが玄関を出た時は影も形も無かった。追いかけてみようかなと思ったが、ちょっと気になり、別れた部屋に戻り、彼女が座っていた椅子の座布団を見ると、濡れていた。笑い転げた拍子にお漏らししてしまったようだと、その濡れたお尻を見られたくなかったのだと、納得がいった。
 ナンシーは座布団を下洗い用の水槽に入れ、ぬるま湯に暫く浸けて、水を三回変えて何度も座布団を押し洗いし、脱水機に掛けてから、乾燥機に入れた。明日天日に干そうと思った。静之お漏らしの記念座布団と、その座布団に銘々した。静之は今日は黒いジーンズを穿いていたし、自転車だったし、夜なので人に気付かれないで帰れただろうと思った。静之をあまり笑わせてはいけないようだと直感した。
 暫くしてナンシーのP H Sに彼女から電話があり、座布団が濡れてたでしょう、ご免なさい、あたし、粗相をしてしまって、と言うので、全然濡れて無かったわよ、仕舞う時に触ってみたけど、と応えると、彼女は声が詰まってしまった。気にしなさんな、きっとちょっぴりちょびっただけよ、良くあることだよ、女には、笑い転げるとね。あたしだって、時々どじるもん。そう、濡れてなくて良かった。今日はご馳走様でした、お父様に宜しく、と言って、彼女は電話を切った。
 何事もなかったことにしたことに、ナンシーはちょっぴり満足した。少し分別が着いたような気分を味わった。大人になったんだわと思った。自分にそういう機転が働くとはと、吾ながら感心し、自己満足を覚えた。こう、咄嗟に言えたのは、自分が静之のことを思いやっているからだと、その時ふとナンシーの心に思い浮かんだ。






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