両性具有文学
・井野博美・

    宇宙の花粉  3


 そんな初秋のまだ暑い日の昼下がり、ナンシーが秋葉原にパーツの新しいのを物色しに行って、幾つか試してみたい物を買って、一休みしようと、近くの喫茶店に入って、サンドイッチと珈琲のセットを注文して、辺りを見回すと、部屋の隅の席に、ナンシーがパーツを買って入れて貰った店の手提げ袋と同じ手提げを横の席に置いている、まだ若い女性を見つけた。その店は半導体アンプ用の部品を各種置いてある店なので、その女性も半導体アンプを造る趣味を持っているのだろうと思った。
 しかし、その若い娘は奇妙なことをしていた。少し赤みがかった茶色のジーンズの短パンを穿いて、上も同色のニットのフレンチスリーヴのシャツを着ていたが、トマトジュースを飲み終えると、そのストローを氷の入った水のコップに差し、水を含ませては股間に運んで、塗らすという作業に熱中しているのだ。丁度彼女の席の横に観葉植物の鉢が置いてあるので、ウェイトレスから見えないのだ。
 彼女は氷水をお代わりして、尚もお尻を塗らしている。席に水が零れると、お尻を動かして、それも短パンのお尻を塗らすようにしている。コップを丸二杯、そうやってお尻を塗らすのに使ってしまった。その頃にはナンシーも食事を終えていた。彼女がその作業を終えて、席の背もたれにゆっくり腰掛けると、やっと彼女の顔をゆっくり見ることが出来た。
 今日は暑いので、股間やお尻を氷水でびしょびしょにすると冷たくて気持ちいいのかしらと、ナンシーは思い、彼女が恍惚としていやしまいかと顔を見ると、そういう感じではない。割とキリッとしまっている。その顔形やお化粧の仕方で、ナンシーはハッと思い当たった。もしかしたら、夜陰に紛れてしか見たことのない、藁葺き屋根の家に住んでいる姉妹のうちの、妹の方ではないかと。
 彼女が席を立ち、レジに向かったので、少し間を置いてから、ナンシーもお金を払って階段を降りて、通りに出て、辺りを見ると、お尻がすっかり濡れているさっきの娘が、JRの駅の方へ向かって歩いていた。その後を尾けて行くことにした。その娘のお尻を見ている人や数人のグループの若者達は、指差して、あの子お漏らししたみたいよ、ひょっとして娼婦かしらなどと言っている。
 その背の高い、足長の細身の娘は総武線に乗るらしく、階段を昇っている間に、上を歩いていた若い娘のミニスカートを左手でスラッと捲り、パンティーを覗いていた。あらと、ナンシーは不思議に思った。女がスカート捲りをすることはほとんどないからである。パンティーが見えるまでにはかなり高く捲らなければならない筈で、手慣れた人物の技、つまり彼女はスカート捲りの常習者ではないかしらとナンシーは思った。
 次のお茶の水で中央線に乗り換えた。空いていた席に座り、しきりに膝を組み替えて、股間を擦り合わせている。冷やした股間をキュッキュと擦っているらしかった。そうすると気持ちいいのだろうとナンシーは思った。その娘が自分と同じ駅で降りることを期待していたが、ナンシーが降りる駅に着いたが、彼女は座ったままだった。
 ナンシーは、人違いだったかとガッカリして電車を降りて、店まで歩き、買ってきたパーツを置いて、椅子に座って考え込んだ。やはりさっきの娘はあの家の妹のような気がする。そこである考えが浮かんだ。彼女は次の駅で降りて、自転車で帰って来るのではないかと。そう思ったナンシーは、店のワゴン車に乗って、次の駅へ通じる道へと進路を採った。
 田園風景の中をゆっくり走らせた。すると、五分くらいして、案の定、彼女がサイクリング用の自転車に乗って、ハイスピードでやって来るのに出会った。すれ違ってじきにナンシーは、方向転換をして、元来た道を戻って行った。その娘が、藁葺き屋根の家の門の内部に、自転車を入れているところを確認して、やはりそうだったか、こうしているので、町の人達は昼間に彼女と出会うことが無かったのだと解った。彼女のヴェールが一枚剥がれたような気がした。
 やっと正体の一部を見抜いた気分で、ナンシーは、彼女とお付き合いするきっかけを掴む作戦を考えた。彼女はどうやら半導体アンプを造る趣味を持っているらしい。ナンシーはそれを半分仕事にしている。それを媒介にして生かす恰好のチャンスではないかと思った。どうみても、それが早道のような気がする。
 それで、店のチラシを数枚探した。6550Aシングルとか、EL34シングル、2A 3シングルとか、KT88シングルアンプといった父の造る真空管アンプのものや、ナンシーの造る半導体アンプの、諸特性の表も入れた写真入りの広告に、オーディオ装置の設計・製作・修理、諸特性の測定、その他ご相談を承りますという文章の入ったものが印刷されているものを選び、それを早速自転車に乗って、彼女の家の郵便受けに入れてきた。 そのチラシは店にも貼ってあるので、時折相談に来る人もいる。真空管アンプと半導体アンプの音の違いはどんなものか、一度確かめてみたいと、試聴しに来る人もいる。同じソースで聞かせたり、それぞれのタイプに向いたソースで聞かせたり、結構サーヴィスしている。
 又、製作に乗り出したのだけど、部品配置を間違えたせいか、配線がどうにもならないので、何とかしてくれなどという客もいる。アンプというものは、いくらいい設計の回路やパーツを使っても、配線材の引き回し方で音は天と地程の差を生ずるもので、その相談に来る客はかなり多い。
 半導体アンプの場合は、プリント基板上への部品の配置とか、向き、その前の段階の、エッチングで基盤を作るこつなどを聞きに来る客が多い。それらを教えても、内には幼児がいるので出来ないなどの理由で、基盤の製作を依頼しに来るケースも多い。それは意外と難しいのである。それで、回路の設計図を持って来て、それがうまく動作するものかどうか確認した上で、プリント基板の製作を頼む客など、客の能力も様々である。
 勿論、初めから終わりまで頼みに来る客もいる。そういう人は大概、店のオリジナルのアンプで特に気に入ったものを頼むことが多いが、店としては、そういうお客さんを大歓迎である。又、中高生が、初めて造るにはどういうのがいいか相談に来ることもある。そういう時は大概、父のレパートリーである、2 A 3シングルを勧める。
 ナンシーの発案で、この店のオリジナルアンプには、NYMPHと号を入れることにしている。その号をどの大きさでどこに入れるかも、見栄えに大きく影響するので、慎重にデザインする。見栄えの悪いアンプは、音が良くても敬遠されがちなので、ルックスにも気を配っている。
 父は職人気質なので、本当に満足の行く作品しか売らない。ナンシーが造ったものでも、いい音でないものは作り直しを命じる。一聴していいと思えても、諸特性をチェックして、駄目なものもあるので、そういうものは売り物にしない。ナンシーは、自分は芸術家気質でいこうと思っている。
 父は、あるオーディオ雑誌に店の広告を載せるようになり、客は、この町だけでなく、近隣の町からも来るようになった。それは最近のことである。電話や郵便やファックスでの問い合わせも来るので、対応に忙しくなった。それで毎日誰か二人は最低店にいないと間に合わなくなり、誰か一人雇おうかという話も出る程になった。でも、この辺で、オーディオにも音楽にも詳しい人物は滅多にいないのでと、二の足を踏んでいた。
 近隣のオーディオマニアがこの店を訪れるようになり、いろいろと話し込んで行くようになったので、お客さんも利用出来るトイレを設けた程だ。良く来る客にはお茶までサーヴィスする。そういう客は、アンプ類は買わなくても、CDを買って行ってくれるので、サーヴィスしても損はしない。懇意の客を掴むことは、長い目で見て店にとっては得なのだ。相談し易い雰囲気を造ることが大事なのだと、最近ナンシーは悟った。相談に乗ってくれる専門家は、どの分野でも重宝がられるものだと。





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