宇宙の花粉 12
次の朝、9時40分にいつものように静之がお店に出かけると、ナンシーは彼女の部屋を捜索してみた。フロッピーディスクケースには、日記と記されたものは無く、CDR O Mケースにも音楽関係の、彼女が作曲した物のタイトルばかし付されている。それで、彼女のデスクの引き出しを開けてみた。左側と真ん中に引き出しがあるが、左側の二段目と三段目は開くが、女性用の化粧道具とか生理用品が入っているだけだ。一番上は鍵が締まっている。真ん中の幅の広い引き出しには、筆記用具とかメモ帖や、万年筆や時計や装飾品などでぎっしりだ。
それでナンシーは、アンプの調整に使う、半固定抵抗などを回す、一番細いドライヴァーを持ってきて、何とか鍵を開けるのに成功した。この種の机の引き出しの鍵はごく単純な構造をしており、自分の引き出しで開けるのは実験済みだ。すると、フロッピーディスクで日記と書かれたものが見つかった。早速それをウィンドウズを起動してからセットして、ワードをクリックして、ファイルで検索して日記に合わせ、初めから読むことにした。
丁度ナンシーと出会った時からのことが書かれている。
「私は姉から、あの、[音楽芸術堂]を経営しているおじさんの娘さんが、私の相手として丁度いいのではないかということを前々から言われていた。音楽のセンスもいいし、アンプは作れるし、高度な専門技術を持って、男勝りに働ける女性で、何度かFTMの会にも顔を出していたと聞かされ、それでは付き合ってみようかしらと食指をのばすことに乗り気になっていた。
何故と言って、私には男役は務まらないし、体型も女そのもので、その躰に私自身馴染んでいた。男の躰に改変しようなどとはつゆ考えたことも欲したこともなかった。自分の躰に許可を降ろしていた。いや、こういう躰であることに満足さえしていた。私の一物がクリペニスであるということにも許可を降ろしていた。何故と言って、それをさすると強烈な快感を覚え、オルガスムとまではいかないが、十分なエクスタシーに溺れることが出来るからだ。
そして、おっぱいを揉んだり、乳首を擦ると、全身性的に興奮するまでに感じてしまい、股間が感覚を失うかのように痺れて、おしっこをお漏らししてしまうが、その時のえも言われぬ快感が、私を幸せな肉体だと感じさせるからだ。
それが、ナンシーと思いもかけず性行為することが出来、私は初めてオルガスムに達することが出来た。それは私には、全体力を傾注することが必要だったが、出来たという素晴らしい満足感と快感を得ることが出来、自分の肉体を今まで以上に素晴らしいものと実感することが出来た。私は肉体的幸せを掴むことが出来た。それは肉体的に女の人と交わることによって可能だということでもあった。
でも、そうしている時も、私は男だとは感じられなかった。女として幸せを味わっていた。でも、そういう幸せを味わえる相手も女なのだということもはっきりしてしまった。私は心身共にレズビアンになることが、私にとっては幸せなのだということを、身をもって悟らざるを得なかった。それに違和感を抱くことはなかった。私は女として幸せを感じているのだということが、とても嬉しかった。女になれたという深い感慨に耽ることも出来た。
その幸せのまえに、私が一児の父親になるのだということは、単なる紙の上のことであり、実体ではないという観念に私を導いた。私は女として、女に子供を産ませたのだという強い確信を抱いている。しかしそれでは、私は特殊な女なのではないか、女の中で異端の女なのではないかと思い澱むことになってしまった。それはかなりの寂しさを私に投げかけた。異端審問に引っかかるということが寂しさの元凶だ。
この、子供を女に産ませることが出来る女であるという逸楽と、それでは性的異端審問に引っかかるという寂しさの両方を抱えている肉体であるということが、私を精神と肉体とを引き裂く原動力になっているという現実に引きずりこむのだ。果たして、精神と肉体は遊離するものだろうか? いや、遊離しないからこそ一つの躰で分裂症という現実に陥るのではないのか。
私の肉体は男ではないが、女ともちょっと違う、いわゆる半陰陽であるという実体なのだが、半陰陽者に独自の精神というものがあるのか、あるならばそれに落ち着くことが出来るだろうという理屈になるが、今のところそういう精神状態に私はなっていないとしか言い様がない。それ故、精神的には私は半陰陽ではないのだろう。しかし、肉体的には半陰陽である。しかし、この肉体と精神の不一致が、私を安定させないのだとも言えないのだ。性とはそういう奇妙な現実を持つ実体なのである。
人間が男か女でなくてはならないという理由はないのだが、どちらでもないというのは性的現実だが、それはある種の人間が望むことなのだが、その望みを包容する精神というものは不確かなもののようで、揺れ惑わざるを得ない。それは、人間が男か女かで成り立っている限り続く、不確実性と言うべきなのだろう。そういうことを言う人物を、医師は分裂症と診断する。全くもって理性への反逆であり冒涜でもある。
事実は、男と女の融合から来る不安定さであり、非一般性なのだ。そこから発せられる言語録を、まともな思考でないと考えるのは、医師のミスジャッジなのだ。人間は性的に、どこまでもおかしくなる生き物だと言うのが事実なのだ。正常な男とか女という観念がおかしいのだと言える。それは平凡なを通り越して、つまらない人間だということを意味している言葉だ。逸脱することこそ性の本性なのだ。
だから人間は性的なことについていろいろなことを書いたり言ったりするのであり、それを面白がり、発展させるのだ。性についてのエロ本が氾濫していることを見ても明らかではないか。それが猥褻だとか、卑猥だとか言う人物は、どこかで官能が麻痺しているか硬直しているのだ。それを他人に押しつけようなどとはとんでもない非道だ。
それはそれとして、私の性が間違えているとは思わないのだが、逸脱して生まれついたということにより、どうそれから逸脱すれば楽しいかとなると、思案に暮れるのだ。そんなわけで、私はエロ本を買ったことがない。姉が時折買って来るのを盗み見ただけだ。自分に出来ないことで充満しているので、見ると嫌気が刺す。心寂しくなる。
そんなわけで、私の旦那であるナンシーに、男としてのエロスを見せてあげられないことに、かなり心苦しい思いをしている。ナンシーも又、男としてのエロスを発散することは出来ないので、対々だが。二人して女のエロスを披露し合っているのが現実だ。私はナンシーが女のエロスを見せつけてくれると、エレクトするので好きだが、旦那役のナンシーは私に満足しているのだろうか、疑問だ。
彼は女役を演じるつもりはないので、エロスの発揚もほんの束の間で、振りをしてみせるだけだ。私の女としてのエロスを高めようという誘いは一切しない。それで私は悩んでいる。
レズビアンのエロスの開発をしないと、私はナンシーに捨てられてしまうような気になって仕方がない。それだけナンシーが男っぽいということなのだが、彼に捨てられないようにしようと、いつも努力している。それで時折、しゃがみ込んで、おしっこをお漏らしするところを見せてあげるのだけど、それで彼は喜んではくれるが、肉の衝動に駆られるわけではないようなので、私はどうしたらいいのかと迷ってしまう。私の意志と肉欲は宙に舞ってしまい、私はいたたまれない思いに駆られる。私のクリペニスでは彼を満足させることは出来ないのかも知れない。
いったい彼は性的に私に何を求めているのか、皆目見当がつかない。エロスではないのかも知れない。そうだと、私の気は安らぐのだけど。そういう肉体愛を超えた愛を持っている人物がいるのかと、私は訝しんでいる。いったい、彼は私の何を愛しているのかしらと、毎日不安な思いで彼の目を見ている。」
と、静之は心の不安を書き記している。ナンシーが思ってもいなかった程、静之は心配している。それがなんと女性的感受性に満ちていることかと、びっくりさせられた。FTMを目指していたナンシーが、いつの間にか失ってしまった女性々のような気がした。それはそれで仕方がないのだが、自分がどうしたら男らしさに磨きをかけられるかと、気になりだした。そうしないと、静之の女性らしさと釣り合わず、心が離れて行ってしまいそうだ。
ナンシーはそのフロッピーを引き出しにしまい、鍵をかけて元通りにして、自分の部屋に戻り、黙想した。どうやら、自分もカウンセリングを受けた方がいいように思えてきた。自分の男としての才覚をどうやったら伸ばせるか、それも肉体愛の次元で、何かいい発想を得たいと思った。本屋さんにも行って、専門書のコーナーに行くが、その具体的なことに触れている本には未だにお目にかかっていない。
FTMの会合に行っても、そういう話はついぞ聞いたことがない。これは性医学の専門医に聞くのが早道だろうと思った。しかし、そういう専門書が出ていないくらいだから、その専門医もいないのかも知れない。静之がかかっている医師にひとまず相談してみて、専門医がいたら紹介して貰おうと思った。しかし、神経科の領分ではないように思える。多分に精神科の領分だろう。
そして本人の問題意識に大きく係わっている事柄だ。自分は病というわけではないので、薬で解決のつくことでもない。今まで、具体的に静之をどうやって愛そうかと考えたことがなかったのだ。女なら男の私に着いて来るだろうと軽く考えていたようだと、反省気味に過去を振り返った。静之は要するに抱いて欲しいのだ。肉体的接触を求めているのだ。そういうことならいくらでも可能だ。
何故それをしなかったのだろうか? それは、精神的愛を追い求め過ぎたためのようだ。精神は肉体と不可分なのだから、肉体的な愛にももう少し熱を入れるべきだったと、彼女の日記を読んで思った。自分の愛が偏っていたと反省した。しかし、どうやったら避妊出来るだろうか。静之のクリペニスに嵌まるコンドームはない。ちょっと工夫してみようかなと、ナンシーは思った。まわるく引き延ばせればいいのだ。それを被せれば済むことだ。今夜やってみようとナンシーは決心した。
その夜、赤ちゃんを寝せてから、二人は静之のベッドで性行為を久しぶりに堪能し、静之もオルガスムに達し、ナンシーも軽いオルガスムに到り、肉欲を満足させた。今夜も、仰向けに寝ている静之の上にナンシーが跨ってするというスタイルで最後を飾った。静之は嬉しそうだったが、疲労のためか、じきにぐっすり眠り込んでしまった。ナンシーは彼女のコンドームをどけて、股間をティッシューで拭ってから、タオルケットを掛けてあげた。クリペニスを軽く拭ってあげた時、静之はわずかに胸を仰け反らせて喘いだ。
彼女のコンドームの先っちょの隙間に、ほんの少し精液が溜まっていた。たったこれだけでも妊娠させられるぐらい、精子というのは元気がいいものなのかと、ナンシーはびっくりさせられた。ナンシーはシャワーを浴びる時にその精液を流してみようとして、シャワーのお湯をかけたら、流れずに粘ついてこびりついてしまった。精液というのはこういう性質のものかと、初めて知った。それで、丸めてゴミ箱に捨てた。
次の日、朝から静之は元気だった。自分で作詩作曲した歌を口ずさみながら、朝御飯を作ってくれた。その歌声がとてもリズミカルで明るかった。目にも精気が宿っていた。性生活というものがこれ程までに人間の精神状態に影響を与えるものかと、ナンシーには不思議に思えた。それは、静之の精神状態が幼いためか、或いはナンシーが官能的に疎いのかとも思われた。しかし、静之には性行為が必要なのだということは明らかに解った。
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