両性具有文学
・井野博美・

  アンドロギュヌスの肖像U 性的偶像崇拝からの解脱


     第四章  奇蹟への道   -3-  西片の恋


 ユリカの早田に対する献身的努力を、西片はハラハラし て見ていた。何故に早田に振り回されるのか、腹立たしく もあった。他人には極めて愚かしく見えるこの関係から、 どうしてユリカが身を退かないのか、理解に苦しんだ。
 利用され、その父親に足蹴にされたにもかかわらず、何 故ここまで面倒見るのか、その動機に疑問を抱いた。早田 に、甘えるのはいい加減にしろと怒鳴ってやりたかった。
 しかし、ユリカは本気で早田の面倒を見ている。カレが 生きる目的や甲斐を見つけるまではと、西片には言ってい るが、本気で愛しているのではないかと思えてならない。 不安だ。
 それで、そんなことしているとお婆さんになったちゃう とか、自分の子供を産むのを忘れちゃうとか、早田は死ぬ までユリカを頼るに違いないと忠告すると同時に、自分に 愛の目を向けて欲しいと言う。
 西片は、ユリカが石胎だと知らないからそう言う。ユリ カのことをボランティア精神の篤い女性だと思っている。 白衣の天使とも呼ぶべき女性に見える。
 西片が会いたいというので、早田のところに行かない日 に西片を招待し、その日はパパが会合でいなかったので、 二人だけで、夕方から音楽を聴きながら過ごした。
 西片は今夜こそ二人の愛の証を契るチャンスと思い、ユ リカに決断を迫った。ユリカは石娘(うまずめ)なので、 抱かれても子供を孕む可能性は皆無なので、一度ぐらいい いだろうと思い、応じた。
 これできっぱりと、ユリカは自分の恋人になるものと喜 んで、彼はユリカを優しく愛撫した。こういう関係は好ま しくないように思えたが、正体を明かすよりは心穏やかだ った。
 ユリカは、表面の楽しげな表情とは裏腹に、内面は嬉し くなかった。しかし西片は、その表面に捕らえられて気色 満面だった。これでユリカは、心身共に自分のモノになる に違いないと、内心安堵する思いだった。この夜の憶い出 は永遠のものになるだろうと思った。
 愛する女性との性行為とは何と素晴らしいものだろうか と、愛に溺れる感無量の幸福を覚えた。ドレスを脱がす時 の手と視覚の痺れ、下着を剥ぐ時の胸の高鳴り、そして裸 体に触れた時の官能の、怒濤のどよめきを、一生忘れない だろうと思った。
 自身のオルガスムのクライマックスを、愛する女性の躰 の中で迎えた感激は、何にも代え難いものに思われた。彼 は、ユリカのワギナの律動が、自分の肉体の律動として、 自分のものだったような気がしてならなかった。そして今 夜こそは、ユリカの女体の発情を、自分の躰に吸収したの だ、もう大丈夫、ユリカは自分の女になると確信した。
 同時に西片は、青春の重荷を下ろし、その紐を解き、中 身を取り出して、初めて自分の内実を検分したように思っ た。それらの一つ一つが幸せ色に染まって見えた。今まで の自分の苦労が、みるみる桃色に変じてゆく様を見つめて いた。
 西片にとってみれば、自分が今ある幸せな姿は、去年の 春、サロマ湖畔でユリカと知り合いになった賜物だ。流刑 の身をたったの一年で解放して貰え、訳本を二人で作り、 出版して貰い、こうしてT大の講師として、学者の卵とし て立っていられる。五十万のスピーカーをプレゼントした ぐらいでは、まだまだ足りない気がする。
 彼女抜きには出世の見込みの無い前歴の持ち主だ、自分 は。唯、感謝の念でいっぱいだ。自分の波瀾万丈の青春は、 ユリカのお陰で花咲いた。今夜その盛りを迎えた。
 体系立った妄想でロジックを編み上げた宗教、神を否定 する宗教、自らに神々しい全面的肯定性を付与する新しき 宗教、マルクス主義は滅んだ。神に代わる現人神、プロレ タリアートは死んだ。
 資本主義経済学は、実はマルクスによって完成されたの だという事実。そして彼によって、その労働の人格=プロ レタリアートが絶対化されたのだということは認めざるを 得ないが、大きな欠陥を持っていた。
 それは、一個人の裡には決して、絶対的なる全体性は反 映されないのだということに、マルクスは気がつかなかっ たためである。そもそも、絶対的全体性など存在しないの だ。それ故、そのような人格=ペルソナを被ることは不可 能だ。
 人間は、主義主張以前に平等である。それを、ある思想 に染まらなければ人間として扱わないという思考は、反人 間的であり、粗忽であることは明白である。
 人間のペルソナは、自由抜きに存在し得ない。個々人の ペルソナは、尊重されなければならない。それを認めない 奴ら=コミュニストを、一般人と平等に扱うわけにはいか ない。
 これらを悟るきっかけを、ユリカはたったの一日で俺に 吹き込んでくれた。仮面の研究家である自分に、仮面の本 質を教えてくれたのはユリカのような気がする。
 考えるまでもなく、生ける者全てはペルソナを被ってい る。いや、死せる者に対してさえ、人間はその人のペルソ ナを投影するものだ。各々風に脚色して。アノヒトらしい という感覚で。その感覚もペルソナの構成要素だ。
 金が労働を食い潰すこの時代に生きている吾々にとって、 個々人の生き様は、金と労働抜きに考えることはできない が、それが吾々の人間性の全てではない。報酬を受ける労 働からは、ほとんど人間らしいものは得られないのだ。 人間が個々人の人間らしさを創り出すのは、それ以外の 時間の過ごし方による。自分自身のための時間を創り出す 必要がある、ほとんどの人には。
 一方、社会主義下での労働の人格化がもたらしたものは、 マルクス主義者達が立証したように、権力構造だけだった。 人間性の劣悪な部分だけだった。猿の世界への退行だった。 社会主義によって、人間性の大いなる部分が損なわれると いうことは確かだ。産出しようという意欲すら首を刎ねら れたのだ。
 意欲を失くしたら、人間はおしまいのようだ。人間の肉 体は、意欲の運動場なのだ。その上で、思う存分活躍した いと、誰でも思っている。そうできれば、自ずと自分らし さは表出される。自分のマスクは自分で創りたいものだ。
 その意欲を、マルクスも重視したのだが、運動へと組織 化する過程で、自己疎外してしまった。
 ソヴィエトロシアの共産主義が辿り着いた結論は、共産 党員の真似をしてはいけない、真似るなら、西側諸国の立 派なブルジョワの生活振りをということだった。
 ゴルビーは見事に、共産主義の仮面を剥いでみせた。彼 ほど政治的手腕に長けた人物はいないだろう。身内をも欺 きつつ、左に着いたり右と与したりしつつ、まず東欧圏を 非社会主義化し、最後の牙城ソヴィエト共産党を解散させ た。
 ユリカの言う通り、世界史を画期する偉業だ。この、現 実以上に衝撃的事実を見せつけられても、N同は解散しよ うとしない。歪曲に歪曲を重ね、自分達こそ民主主義者で ございなどと虚言を吐く始末だ。人民を愚弄するのもいい 加減にしろと言いたい。
 去年の春まで自分も、その一員として、人民を欺き手懐 ける調教師として活動していた。それが自己矛盾であるこ とをユリカによって理解させられた。目から鱗が落ちる思 いがした。やっと現実に気付いたのだ。世界観は大きく変 わった。現実が今までとまるで違って見える。
 自分は、人民を騙す仮面を被っていた。その自分の仮面 を剥げないようでは、確かに人間失格だ。益して仮面の研 究家としては失格だ。ユリカの言う通りだ。
 自分の目を醒ましてくれたユリカに、深く感謝している。 今では愛に変わっている。何とかこの愛を結晶させたい。 ユリカと結婚したい。ところがユリカには幼友達がいる。 手間のかかる、ユリカの母性本能を発情させる子持ちの男 がいる。
 ユリカはその男に本心では気があるようだ。自分とは行 きずりの恋といった感がある。性体験を共有したが、彼女 の本心を自分に釘付けにはできていないような直感を漂わ せている。ユリカのその仮面を剥いだら、自分とは付き合 ってくれなくなってしまいそうで、とても不安だ。
 女は一に押し、二に押しで行けば懐くものだと言われて いるが、それも通用しない。今夜性体験を持ったが、どこ となく掴まえどころがないという反応だ。具体的に何を求 めているのか、それが判然としない。結婚して、自分の子 供を育てようという気配が無い。おかしな点の第一だ。
 俺は男の学者だから、研究第一だが、ユリカはどう考え ているのか。こんな俺の愛を本気で受け容れてくれるのか、 鰻のように掴まえにくい女だ。ついさっきは確かに愛を実 感したが、彼女はもう冷めた顔になっている。
 いったい、ユリカの女としての人生観はどうなっている んだろうか? と考えながら、西片は帰って行った。





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